小学校の授業では
音遊びやゲームを
取り入れたり。
小学校の先生大野智菜実さん
神奈川県出身。小学校教諭。高3までヤマハを続け、大学ではエレクトーンサークルに所属。
譜が読めると学校で楽、というお母様のすすめでヤマハに通うことに。「幼児科ではミの位置が覚えられなく苦労した記憶が……」小学校高学年からは、エレクトーンの個人に加えてピアノも。「将来はエレクトーンの先生を考えていたのですが、塾講師のアルバイトをしていたのもあって、学校の先生もいいかなと」。先生になってからは、低学年の担任では、音楽の授業も担当。「幼児科を思い出して、体を動かしたり音あてクイズを取り入れたり。また、今も大学時代の仲間と演奏を行なっていますが、音楽を続けていてよかったです」。
大学時代のサークル
仲間との発表会で。

児科出身で、「中高時代は弾くよりも作曲が好きでした。和音づけや伴奏を考えるときは、ピアノよりエレクトーンの方がやりやすかった記憶があります」。作曲で音大への進学も考えましたが、悩んだ末に医学部へ。「大学時代は、『こんなに自由な音楽があるのか』と、ジャズにはまりました」。 子育てがほぼ落ち着いた4年前から再びジャズを弾くようになったそうで、「テクニックはさておき、20年前とは違う音が出せるのが楽しくて。音楽のない人生は寂しいからと、子どもたちもヤマハに通わせていました」。
学3年生の時にヤマハのデモンストレーター*の募集があるのを知り、オーディションを受け合格。「小学生のときからエレクトーンに関わる仕事がしたいと思っていたのでうれしかったです」。元々コンクールや発表会で演奏するのが大好きで、「さまざまな音色が出るし、いろいろなジャンルの曲が弾けるのがエレクトーンの魅力。アンサンブルも弾いていて楽しいです」。小学校のころから、曲を聴くと、どの旋律が何の楽器で演奏されているのか聴き分けができたそうで、「それはヤマハで培われたもの。その耳が、今の仕事で曲をアレンジしたりするのにも役立っていると思います」。


人いる姉がヤマハに通っていた影響もあって、4歳から幼児科に。小学校高学年のときには、エレクトーンコンクールに出場し、何度も入賞した経歴をもつ桑原さん。 「習っていたヤマハの先生から小3のときにジャズやフュージョンの魅力を教えてもらったのがきっかけで。それを表現するならエレクトーンかな、と」。その後ジャズを極めたいと中学時代にピアノに専念。高校卒業後にデビューを果たします。「ピアノで納得のできる音が弾けるようになるまでに11年かかりましたが、耳コピやアドリブができるのは、ヤマハでエレクトーンを学んでいた経験が大きく影響しています」。